寒冷地シニア夫婦節約dialy📚

悪性リンパ腫を患った主人と2人暮らしのシニア女子の節約の様子や葛藤、思いを自分の言葉で綴ります。

 苦しかった時期(2)

 

こんにちは☆

 

 

 穏やかな一日で

ありますように🍎

 

spraito.hatenablog.jp

 

(上の記事の続きです)

 

かれこれ

20年くらい前、

母親が病気で家事が

できなくなって

来たと言うので

同居が始まり

ました。

 

主人は結婚前に

その事に

同意してくれて

いたので

すんなり同居

できました。

 

私たちは2階に

親たちは1階に

住んでいたので

それなりにうまく

同居生活は

続いていました。

(私の親なので)

 

 

同居した当時は

主人の仕事も

(正社員)

なんとかつづいて

いたのですが 

平成の大不況に

次第に巻き込まれて

しまいました。

 

どんどん

お給料は減る!!

それに伴い

ボーナスも減る!! 

という状況になり

その度に私たちは

とても落胆

しました。

 

それでも生活の質を

その度に落として

調整し 

時に涙をこぼしながら

過ごしていました。

 

 

しかしある日

とうとう

ボーナスは亡くなり 

手取りの給料は

15万円まで

減りました。

(最高時26万円)

 

二人で相談に

相談を重ねて

年齢的に

50歳近くで

再就職は

無理だろうから

この際クビに

なるまで

努める方が

いいという

結論に至りました。

(そのあとの事は

それから考えようと

いう事です)

 

 

そこから2.3年

(ほかの人は

 リストラ

 されるなか)

主人は少ない

お給料で

勤め抜きました。

 

その後退職金とは

言えない

ほんの少しの

労金受け取り

主人の10年足らずの

そこでの正社員の

仕事は

終わりました。

 

 

でも当然といえば

当然ですが

50歳近くに

なってから

新たに正社員の

仕事は探しても

ありませんでした。

 

面接を受けも

しました

合格しません

でした。

 

次第次第に

同居の親も

焦ってきました。

 

私は専業主婦で

病気の母の面倒を

見ながら

生活しているので

収入は

ありませんでした。

 

(ただ親の世話を

しているという事で

光熱費は

免除されていました)

 

主人の仕事の

最後3年間の

給料が

15万円くらい

だったので 

失業保険は10万円

をやっと超える

くらいの

ものでした。

 

家賃も

かからないので

ぎりぎり10万で 

生活しながら

職探しが

始まりました。

 

1年くらいあの手  

この手で

仕事探しを

頑張りましたが 

とうとう失業保険

が切れて

しまいました。

 

夫婦仲は悪くは

ありません

でしたが、

失業保険が切れると

2人の中に

嫌な感じの

緊張感

生じるように

なりました。

 

さらに悪い事に

(心配する余り

の事ですが)

親がそれまでより

頻繁にその問題に

口をだして来る

様になりました。

 

あちらからも

こちらからも

ぎゅうぎゅう

詰めにされ

呼吸するのも

苦しくなる

ような状況に

追い込まれて

しまいました。

 

今にも心が

押しつぶされ

そうでした。

 

 

  (その3に続く)

 

 

 

 

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