寒冷地シニア夫婦節約dialy📚

悪性リンパ腫を患った主人と2人暮らしのシニア女子の節約の様子や葛藤、思いを自分の言葉で綴ります。

人工透析の祖母

 

こんにちは☆

 

穏やかな一日に

なりますように🌿

 

 

祖母はとても

活発な人でした。

よく働きよく喋り

社交的な場を

好みました。

 

私の記憶では

忘れた頃に

入院していました。

病気と聞いて

病院に行って

みても

とても元気で

どこが悪いのか

わからないという

人でした🫢

 

学生の頃に

母親から祖母は

今は元気だけど

いずれ定期的に

病院に通って

人工透析しなきゃ

ないんだよと教えて

もらいました。

 

私が20代の頃

祖母家族は遠くに

引っ越しました。

 

70歳を

過ぎた頃から

週に一度、透析に

通う生活が

始まったようです。

 

それでも 

以前として

よく喋る人で

透析をしてくれば

あとは家で

自由に暮らして

いたようです。

 

80歳を過ぎて

同居していた

共働きの長男夫婦に

私は老人ホームに

入りたいと言い

出しました。

話し相手が欲しい

のだそうです。

 

祖父は亡くなり

ましたので

寂しかったのかも

しれません。

 

老人ホームにも

すぐに慣れて

明るくよく喋る

おばあちゃんと

言われていた

ようです☺️💫💫

 

しばらくはとても

楽しく過ごしていた

ようですが

ベットの乗り降りで

転んで骨折をして

しまいました🌀

 

それから徐々に

弱っていき

食事量も

減ってきた為

ホームから病院に

移されました。

 

 

祖母は全体の力が

どんどん

落ちてしまい

透析するたびに

心臓に負担が

かかるように

なりました💦💦

 

そんな時

長男夫婦が

医師に呼ばれました。

これ以上透析すると

心臓がもう

持ちません。

 

でも透析をやめると

生きられません。

どうしますか?と。

 

長男夫婦は

透析をやめてもらい

楽に息を

引き取れるように

お願いした

そうです。

 

透析のない生活が

始まりましたが

祖母は痙攣を何回か

起こしたそうです。

 

危篤と言われて

親戚が集まったり

しましたが

生き延びて

孫がひとりだけ

付き添ったときに

静かに静かに

祖母は

亡くなりました。

 

 

長い間の

透析生活から

本当に解放された

瞬間でした。

 

 

祖母は87歳まで

生きましたので

みな満足して

いました💫💫

 

本人はどうだった

でしょうか?

 

 

 

 

ではまた👋👋👋

 

 

 

 

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